メンバー紹介:山内太郎先生(北海道大学健康科学分野・教授/ 分担者)インタビュー記事

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分担者 山内太郎先生へのインタビュー

インタビュアー:田中文菜・杉山由里子
インタビュー実施日:2023年9月26日

1.研究の内容と経緯について

田中:これまでの研究や現在の研究について、主なものを教えてください。

(1)山の世界、森の世界、海の世界

山内:農耕民における生態人類学的な栄養適応の調査から、自分の研究はスタートしています。「栄養、運動、体格」と、頭の中に三角形を書いてもらうとわかりやすいです。栄養=エネルギー摂取量と運動=エネルギー消費量のバランスで痩せたり太ったりしますよね。その計算をしていきます。さらに子どもの成長や大人の体格を、身長や体重、そして体格指標=BMI(体重[kg]÷身長[m2])を計算して「やせ」「標準」「肥満」などに分類します指標を出して分析していきます。このようにしてそれによって、あるその集団の子どもの成長状況供や、成人男性・成人女性の栄養適用適応、つまり栄養学的にどのように生活環境に適応しているかを修士、博士課程で調査しました。したのが博士課程の仕事です。調査を行ったのは、パプアニューギニアのハイランズ(Highlands)。南太平洋の島国の高地民、高地社会、ハイランドです。彼らは農耕民でサツマイモを作り、豚ブタの飼養を生業としています。ニューギニアで博士論文を書くつもりだったのですが、博士2年のときに、運命の出会いがあり、縁あってカメルーンのピグミーの村に行きました。師匠の大塚柳太郎先生の後輩にあたる、東大の理学部人類出身の佐藤弘明さん(当時、浜松医科大学)の科研メンバーに呼んでもらい、アフリカに行きました。農耕社会から狩猟採集社会へということで大きなカルチャーショックを受けました。後ろ髪を引かれつつ、また翌年はニューギニアに戻り、博士3年はニューギニアで調査をして、博士論文を書きました課程を終了しました。
※カメルーンでの調査については、2.(2)に続きます。  博士号を取った後は、ニューギニア研究のメッカであるオーストラリア国立大学に行きました。さらにその後は、指導教員の大塚柳太郎先生がリーダーを務める島のプロジェクトに携わりました。ソロモン諸島と中国の海南島、そして沖縄の三つの島を舞台にしたプロジェクトです。

(2)総合地球環境学研究所と北海道大学にて

 さらにその後は、総合地球環境学研究所(地球研)の秋道プロジェクトに人類生態班のメンバーとして加わり、ラオス農村部で稲作農耕民の調査を行いました。ニューギニアの畑作農耕民、カメルーンの狩猟採集民、ソロモン諸島の畑作・漁労民に続き、稲作農耕民の調査を行う機会に恵まれました。様々な生業を営む集団の調査を行うことができたのは幸運でした。

 また、地球研では、アジア(インドネシア、中国、台湾、韓国)の子どもたちの体力と健康に関する自分のプロジェクトも始めました。日本の小中学校で行われている「(新)体力テスト」を現地の状況に合わせて種目を省略したり、内容を改変して実施しました。子どものフィットネス(体力)と栄養適応(身体活動、食物摂取)について研究をしました。

 縁あって2007年に北大に異動しました。医学部保健学科(翌年から大学院保健科学研究院)に人類生態学研究室を創設して早くも16年が経ちました。地球研の梅津プロジェクトでアフリカ2カ国目となるザンビアの農村部で調査をしました。乾燥地帯なのですが気候変動の影響で大雨が降ったりもします。干ばつや大雨といった気候変動と農業生産、そして子どもの成長や成人の栄養状態の季節変化について調査しました。

(3)サニテーション、ヘルス×人類学

北大で衛生工学の船水尚行先生と出会い、ブルキナファソのSATREPSプロジェクトに誘われてサニテーションの世界に入りました。従来の衛生工学分野におけるサニテーション研究というのは、トイレを途上国に導入するとか、コンポストトイレやバイオトイレを開発して、回収した「し尿」を運搬しやすくするためにどうやって容積を圧縮するかとか、病原性大腸菌をどうやって処理するかといった技術的なことが中心でした。私は保健学の学位を持ち、国際保健学も専門としているので、人間の健康という側面からサニテーション研究への貢献を期待されていました。SATREPSが終わり、再び地球研でプロジェクトを行う機会に恵まれました。そうなると人々の健康だけでは飽き足らず、人類学者、フィールドワーカーの観点から、トップダウン式にトイレを現地に導入するのではなく、ボトムアップ式に地元の人たちと一緒にトイレの仕組みを考えていかなければサニテーション課題は解決できないと強く思うようになりました。

地球研サニテーションプロジェクトがターゲットとしたフィールドは、インドネシアの都市スラム、インドの農村、ザンビアの都市スラム、カメルーンの狩猟採集社会、そしてブルキナファソの農村でした。どのフィールドもそれぞれ、どんなトイレが必要か、どのような仕組みが望ましいのかというのは、異なっています。それを一律にみんなが憧れるような素敵なデザインのトイレを導入しても上手く行かないのです。そういった上からの発想ではなくて、住民目線で地域社会の文脈を考慮したトイレの仕組みづくりを地元の人々と一緒にやろうと挑戦しました。

ボトムアップ型のコミュニティペースの活動について二つ例を挙げましょう。ザンビアの都市スラムでは子どもクラブを作って、子どもと若者が調査を行うというアクションリサーチを実施しました。また、インドネシアの都市スラムでは小学校にバイオトイレを入れました。回収したし尿から堆肥を作り、既存のゴミ回収業者や、屋台の店に協力してもらって近郊農家に運んでバラとポインセチアを育てています。「し尿から花を育てる」というのは、面白い発想だなと自画自賛しています。ザンビアでは近郊農家で綿花を育ててTシャツを作ろうと計画していたのですが、まだ実現していません。つまり、これらの試みは、これまでお金を払って処理していた「し尿」から価値を生み出すという「逆転の発想」だと言えます。

地球研プロジェクトではひたすらコミュニティに注力して現地の人々とサニテーションの仕組みの共創に取り組みました。プロジェクトが終わり、次のステップとしては、コミュニティだけでなく、行政、つまり国の政府や地方自治体、さらに民間企業と協働していくことを考えています。パブリックセクター(行政)、プライベートセクター(民間)そしてコミュニティ(地域社会)の三者が協働してサニテーションの仕組みづくりをすることで、より大勢の人々がサニテーションの恩恵を得ることができます。

プロジェクト最中にも関心を持っていて細々と調査を行っていたのですが、プロジェクトが終わってから、本格的に研究室の女子大学院生を中心に「女性のサニテーション」、すなわち「月経衛生対処(Menstrual Hygiene Management, MHM)」について取り組んでいます。日本でも「生理の貧困」ということが話題となっていますが、開発途上国でも経済的な理由や品不足で生理用品が手に入らないという問題があります。衛生のため頻繁に取り替えなければいけませんが、それができない。学校では男子学生の目を気にしたり、トイレが不衛生、設備が不十分だったりすることも、頻繁に取り替えることができない要因となっています。また使用後の廃棄に関しても日本のように回収の仕組みが整っていません。なのでピット・ラトリン、いわゆる「ぼっとん便所」にそのまま捨ててしまうとか、脆弱な水洗トイレに流して詰まらせてしまうということが起こっています。イスラム教が普及しているインドネシアでは経血は不浄と考えられていて、そのまま生理用品を廃棄せずに、洗ってから廃棄したりする習慣があるということもわかりました。

プロジェクト終了後はMHMを拡張して、月経関連の健康(Menstrual Health and Hygiene, MHH)に取り組むことに加えて、トイレの起源や、人類の排泄の進化についても考えています。

ルサカ(ザンビア)の都市スラムの様子.散乱したごみの脇で,子どもが遊んでいる.撮影:Sikopo Nyambe

2.基盤S「アフリカ狩猟採集民・農牧民のコンタクトゾーンにおける子育ての生態学的未来構築」との関わりについて

(1) 田中:子供間の相互行為が基盤Sのキーワードになっていますが、これまでの山内さんの研究と、どのように関係していますか?

山内:子ども間の相互行為というと、やはり食べ物が思い当たります。家族の中における食物分配。どのように親が子どもに食事を与えてるかということです。世帯内や集団内の食物分配はニューギニアのような畑作(サツマイモ)農耕社会、あるいはラオスのような稲作の農耕社会でもそれぞれ違います。平等社会と言われている狩猟採集社会における食物分配の研究は多いです。ただ、私自身はあまり食事調査で子どもを対象にしたことはなく、成人の食物摂取(種類、量)、各種栄養素の摂取量を調べてきました。

子どもを対象としたのは成長研究です。子どもたちの身長や体重を測り、栄養状態や成長状況を評価するのですが、カレンダーがない社会では子どもの年齢推定が大変です。また、1人の子どもを0歳から20歳まで1年に1回とか半年に1回継続して測定していくと綺麗なS字型の成長曲線を描くことができるのですが、実際はこのような「縦断研究」は難しいです。一度にいろいろな年齢の子どもを測定して集団として評価する「横断研究」になります。

日本は母子手帳に成長曲線が描かれているように、統計データがしっかりしています。国民の標準成長曲線を有している国は先進国でも意外と少ないんですよ。日本は明治時代から学校で1年に一度身体計測を行っています。120年の歴史があります。話がそれてきました…。  現在はWASH(水、サニテーション、衛生)に着目しているので、ザンビアの首都ルサカでおこなっている「子どもクラブ」を対象としたアクションリサーチに力を入れています。しかし、子どもたちの相互のインタラクションとかは調べていません。基盤Sでやってる調査はすごく面白いと思いますが、残念ながらまだやれていないです。

ザンビア・ルサカでの「子どもクラブ」との活動に参加(2018年)(撮影:林 耕次)

(2) 田中:基盤Sのカメルーンのテーマ、「活動中の一時保育と多人数の養育」について教えてください。 山内:大学院生が、BAKAの定住集落で調査しました。高田明さんも使ってた30秒ごとに育児活動を評価するチェックリストを用いました。育児活動が「発声を伴うもの」、「顔の表情」、「接触を伴うもの」というような項目ごとに分類されています。私はそのチェックリストに「目の届く範囲に置いておく」という接触を伴わない項目を加えました。それを育児と呼べるかどうかは育児の定義によります。私たちは、接触がなくても育児と定義して、各項目について養育者と育児時間を計測しました。先ほど述べたように成長曲線の分析から思春期を男女で定義しました。もちろん個人差はあるのですが、男子は10歳ぐらいから、女子は9歳ぐらいから思春期が始まります。思春期前を年少群、思春期後を年長群として、性別を加味して、子育てを行う子どもたちを4つのグループに分類しました。例えば、「年長・少女」が4群の中で一番長く子育てに関与してるとか、「年長・少年」は森へ出かける、つまり生業活動を行う時間が長く、子育てにあんまり関与してないとか、そういったことがわかりました。2022年にダブリンで開催されたCHAGS(国際狩猟採集民会議)でも発表しました。

長年通い続けているカメルーン南東部のバカ集落で、子どもたちと記念撮影(2019年)(撮影:林 耕次)

(3) 田中:基盤Sの代表者の高田さんとは「アフリカ狩猟採集民・農牧民のコンタクトゾーンにおける景観形成の自然誌(2016~2021)」といったテーマで共同研究をされていますが、そこからどのように発展させて今の研究に繋がっているのでしょうか。

山内:私がやってきた調査のひとつに「個体追跡」があります。子どもであっても大人であっても、ひたすら1人の対象者を朝から晩まで追跡して、活動を記録したり、食事を量ったり、身体活動を測ったりしてきました。その中でも、乳幼児の行動、そして子育てを観察するのは難しいです。ずっとお母さんの近くに座って行動を記録するというのも限界があるし、どうしようかなと思ったとき高田さんから育児活動のチェックリストを教えてもらいました。それを使って、先ほど(2)で説明したような調査を行い、まず1日1人の乳幼児に何人の養育者が育児に関与してるかという調査を行いました。結果として、平均15.8(人/日)っていう数値が出ました。母親入れると16.8(人/日)です。ピグミー系狩猟採集民の先行研究で、EFE(ピグミー)は11(人/日)、AKA(ピグミー)は20(人/日)でした。私たちのBAKAのデータはちょうどその間に入りました。5人の乳幼児に連続3日間、1日9時間観察しました。30秒ごとに観察したので、全ての観察機会を計算すると(5✕3✕9✕60✕2)1万6,000を超える膨大なデータ数となりました。研究限界としては、そもそも対象とした乳幼児が5人のみであったこと、雨季と乾季といった季節の違いを考慮できないということ、定住集落のみで、森のキャンプにいるときの様子は分からないことです。同様の調査を行って、季節変化や定住集落、森キャンプの比較をしてもらいたいです。大学院生や若手に期待しています。

3.複数の調査地をもつことについて

田中:これまで、アフリカではザンビア、南アフリカ、ボツワナなどいろんな国で調査をされてきたと思いますが、どのような見方・考え方で比較研究をされていますか。

山内:調査地は意図的に選んだのでなく、その都度その都度、プロジェクトに関わることで自然に増えていってしまいました。その中でも、博士2年のときにアフリカ(カメルーン)に行くチャンスがあり、その時の印象は強烈で鮮明に残っています。修士1年からフィールド調査をしていたニューギニア高地社会は、主食のサツマイモに依存した農耕社会でブタを飼っており、一夫多妻で、女性が結婚する時ブタが婚資になります。また、島国で中央に4,000メートル級の山が連なっていて土地が少なく、ブタと女性と土地を巡って常に人々が争ってるんですよ。調査で住んでいた村に火を放たれたり、道沿いの木の陰に武装した男達が隠れて弓を引いて待っていたり…すごい激しい社会でした。そこから全く別のアフリカの熱帯雨林に暮らす狩猟採集社会(BAKA)で調査したのですが、いつも笑っていて争いもなく、食べ物もみんなで平等に分けるという光景に出くわし、大きなカルチャーショックを受けました。

 フィールドを比較研究するというよりも、それぞれのフィールドの独自性に驚くばかりでした。テーラーメイドという言い方がされますが、その人に合わせた、あるいはその文化、社会の文脈に沿った排泄・サニテーションの仕組みを考えるとか、食事でも何でも同じだと思うんですが、その集団特有の生活様式があることを考えさせられます。今、田中さんの質問にあったように、それをもうちょっと抽象度を上げて比較して考えることもやらなくては…、と質問に答えながら思いました。

田中:今後、もっと調査地を広げていきたいとお考えですか?

山内:いえいえ(笑)、どんどん減らしたいんです。サニテーションプロジェクトの主要なフィールドでもあった、カメルーン(狩猟採集社会)、ザンビア(農耕社会、都市スラム)、インドネシア(都市スラム)ぐらいで十分だと思っています。

4.アクションリサーチについて

田中:ザンビアのアクションリサーチについて、先ほどでた「子どもクラブ」について、もう少し教えてください。

山内:はい。なぜ「子どもクラブ」を作ったのかという話の前に、ザンビアの都市スラムに限らず、サブサハラ(サハラ以南の)アフリカの都市スラムで「フライングトイレ」が日常的に行われているって聞いたことありますか?フライングトイレというのは、つまり排泄物が飛んでいる状況です。

田中:ないです。

山内:スラム地区では世帯にはトイレはなくて、公衆トイレがあるんですが、維持管理がきちんとなされず壊れていたり、浸水したまま放置されていることが多く、トイレの役割を果たしていないんで。むしろ廃墟となった公衆トイレが、ゴミ捨て場になったり、謎の色の液体が流れたり、注射器や針が落ちたりとかして、近寄りたくない危険な場所になっています。となると、特に女性と少女は、その様な場所に行くのは怖いですよね。スラムの住民は公衆トイレ以外の場所で野外排泄を行っているのですが、日中は恥ずかしいので夜間や早朝に用を足しに行くことになります。すると、性犯罪に巻き込まれるリスクに直面するのです。なので、安全なところ=家の中で用を足すしかないんです。コンテナとかプラスチック(ビニール袋)に。それをちゃんと昼間にトイレに持っていき廃棄すればいいのですが、そのまま家の外に投げ捨てるんです。だからフライングトイレットと呼ばれていて、朝起きるとスラム地区の道に排泄物が落ちてたりするんですよ。このような状況に麻痺してしまい、大人たちはサニテーション施設の設置を諦めているんです。政府や自治体は予算もなく、地面を掘り返すような大規模な土木工事はできない、と。そうかといって先進国や国際NGOから援助でトイレが導入されても適正に使われず、維持管理もできず、すぐ壊れて使えなくなる…という現状もあります。

 でも興味深いことに、そういう状況の中で、スラムに暮らす人びとは、水は買っているんですよ。自分の生存や健康に直結する飲み水はお金出して買うのに、排泄物に関しては自分の目の前から消えればいいという…。それが私たち人類、ホモサピエンスの本質だと思わされます。もちろん自分も含めて。

子どもクラブ「Dziko Langa」によるワークショップと展示会の様子.撮影:Sikopo Nyambe

諦めている大人に対して、スラム地区の子どもたちに可能性を感じました。スラム地区で暮らしながら、水、トイレ、衛生の問題について、子どもなりに感受性があり、思うところがあるんじゃないかなと考えて子どもクラブを組織しました。中古のデジタルカメラを日本から持っていって、サニテーションの問題に関して彼らが感じた日常を写真撮ってもらい、また写真に必ずコメントを書いてもらいました。カメラを持ってない(または操作が難しい)小学生低学年の子には絵を描いてもらい、絵にコメントも書いてもらいました。その展示会をしたら、200人を超える予想以上の人びとが来てくれて、反響がありました。

 諦めていた大人たちも、自分たちの子どもから、こうやって水、トイレ、衛生の悲惨な状況を突きつけられると、ちゃんと耳を傾けました。スラムの大人たちは、外国人研究者の話とか、ザンビアの大学教員や役人などの話は聞かないですが、自分の子どもの話は聞くのです。子どもから親、さらに地域の大人へ、大人から地域社会へ、そういったすごいゆっくりした感じですが、ボトムアップ型の社会変革に取り組んでいます。

 今は、プロジェクトが終わって予算がないので、どうやってクラブを持続的に運営していくかというのが課題です。自走的に子どもクラブが回るように試行錯誤しています。また、NGO登録をすることができたので、資金を得るチャンスがあるんですよ。そういうのに応募するための申請書の書き方なども教えていこうと考えています。研究者が手取り、足取りというのじゃなくて、年長の賢い子どもたちをトレーニングして彼らが年少の子どもに教える。上から下に知識やノウハウが伝わっていくような仕組みづくりを取り組んでいます。

田中:基盤Sでも、カメルーンでアクションリサーチをしてみたいとお考えですか?

山内:やりたいですね。子どもクラブを作りたいです。ただカメルーンの狩猟採集民BAKAの人たちは、やはりというか、かなりしたたかですね。農耕民が定住集落にやってきたら、一応従うふりをするのですが、その場からいなくなったら馬鹿にして笑うし…。彼らは多様な環境の中で、すごい柔軟に生きています。もし私たちが「子どもクラブを作ろう」と言うと、みな口裏合わせて、「ああいいね、作ろう、作ろう」と賛同して、ちょっと動いてくれると思うんだけど、日本に帰ったら、多分すぐ活動を辞めてしまうのではないかと思います。

 ただ、子どもたち自身が面白いと思って、自発的にやるようになれば可能性があると思っています。なので都市で活動しているNGOや、研究者が1年に一度訪れるというレベルではなく、地元に根付いて活動してるローカルNGOや組織とうまくコラボして子どもクラブを運営するというのが一案と思っています。

ワークショップに参加した子どもクラブのメンバーの表彰式.
(提供:山内太郎)

5.今後の展開

田中:研究人生における基盤Sのプロジェクトの位置づけについて、意気込みやイメージしてる成果を教えてください。

山内:基盤Sプロジェクトの調査地はカメルーンだけでなく、ナミビアとボツワナも含まれていますが、自分は狩猟採集民はカメルーンしか知らないんです。例えば、カラハリのサンの人たちとか、あるいは基盤Sとはフィールドが違うけれど、タンザニアのハッザなど、ピグミー系狩猟採集民以外の狩猟採集民の人たちも調査してみたいなと思っています。

実際は、それぞれのチームで研究を行うので、フィールドを見せてもらうぐらいしかできないと思うんですが、それでも視野が広がり、「ピグミー系狩猟採集民はこういうユニークな点がある」という話ができると思います。振り返れば30年ほどフィールド調査を行ってきましたが、他のフィールドの狩猟採集民と関わることができるというのは初めてで、ようやくチャンスをいただいたと思っています。とても楽しみです。

杉山:山内さんの研究を通して、あるいは現地を見ることで、山内さん自身の子育てとか、教育とか、そういった価値観に影響を与えることは、何かありましたか。

山内:娘はもう成人になってしまったので…(笑)。20代で調査したニューギニア高地社会では、食と身体活動と体格、子どもの成長、という栄養適応の研究フレームを意識していました。子育てや排泄については見落としていました。個体追跡をしていた対象者がトイレに行くと言うと、むしろ見ないふうにして。幸いとばかり、自分も用を足したりしていました。地を這うように個体追跡、つまり朝から晩まで対象者と一緒にいて、何食べたか、何の活動を何時間何分やってるか、どのくらい歩いてるか、消費カロリー量とかを詳細に観察、測定して、彼らのライフスタイルについてわかったつもりになっていたのですが、生きる基本である排泄については全くわかっていませんでした。この事実にフィールドワークを30年やって初めて気づかされました。それで今は、排泄やトイレに関心を持って調査しています。排泄やトイレを研究している人の中で自分のユニークなところは、これまでの食を見てた経験があることだと思うのです。「食」と「排泄」の両方を捉えて考えるということは重要ですし、独自の視点になると思います。本来、食事から排泄までは繋がっていますから。

さらに今考えているのは、生と死、そして再生についてです。食事を「生」、排泄を「死」と考えると、サニテーションは死から生への「再生」のプロセスといえます。食物を食べて排泄する。また動物が死ぬ。排泄物や死骸が分解されて自然に還り、それを養分として植物や動物が育つ…という自然の循環があります。この循環の中でサニテーション、すなわち死から生への再生に着目するのは「裏」の生態人類学/人類生態学といえるかもしれません。今までは食物生産・消費といった「表」しか見て来ませんでしたが「裏」も見ることが大切だと考えています。生と死、そして再生の循環が上手く回ることによって地球の健康(Planetary Health)が保たれる。Planetary Healthの中にサニテーションを位置づけることを自分がやらなければならないと思っています。