連携者 原田英典先生へのインタビュー

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インタビュアー:林 耕次・高田 明(オブザーバー:杉山由里子)
インタビュー実施日:2023年12月1日

1.研究の内容と経緯について

林: はじめに、原田さんの研究のテーマについてお話し頂けるでしょうか。

サニテーション、水、トイレ

原田:ぼくは元々環境衛生工学が専門なんですけど、その分野では珍しく、基本、低中所得国をフィールドにして。たぶん(通常は)フィールドワークすること自体あんまりない。いるけど、主たるアクティビティではない分野なんですけど、なかでも特に、はじめは東南アジアでしたけど行っていて、それからアフリカ(マラウィ、ウガンダ、ザンビア) ですね。まあ、いろいろやりますけど、基本的にはどうやったらサニテーションが、地域でうまく成立するか、どうまわるか、っていうのを技術的側面が多いですけど、必ずしもそれだけに留まらずに研究しています。

高田:やはりサニテーションっていうのがメインテーマ…?

原田:そうですね。サニテーションの研究をしていくと、水との境界が曖昧というか、だんだん融合してくるんですね。使ったあとの水が排水になったりしてサニテーションになりますし、水とサニテーションについて国連とかでも一緒に言われるのは、生活に使う水を汚す、かなりの重要な要因が汚物なんですよね。それでそこは一緒に語られることが多いです。地域の衛生を改善しようと思ったら、もちろんきれいな飲み水を持ってくることも大事ですけど、きれいな飲み水持ってきたそばから、生活環境が糞便で汚染されていたら水も汚れますし、そこは一体的に取り組むべきだというふうに言われているし、実際サニテーションをベースにして健康のことをやればやるほど、水とだんだん混ざってくる。もうちょっと言えば、サニテーションというのは、汚物をトイレだけではなくて、トイレを含めて「始末をうまくつける」こと。それは「処分」という意味でのディスポーザル(disposal)でもいいですし、「何かに活用する」っていうのもいいんですけど、まぁ、「始末をうまくつけること」って、私は言っているんですね。訳語が、良い日本語があんまりないので難しいんですけど。そうすると、とてもゴミの問題と親和性が高くて、実際、日本の法令上も汲み取りトイレのし尿は、廃棄物扱いで、ゴミとして扱われてますし、アフリカとかのフィールドでもトイレって汲み取りが多いので、そうするとゴミのセクターの人が汲み取りをしてたりすることもありますし、健康セクターの人がしてることもあるっていうので、水とサニテーションとゴミは、よく境界を越えながらやりますね。

写真1 インタビュー中の原田さん

高田:(原田さんの研究のひとつである)「ドライトイレ」っていうのは、逆に水を飛ばして、というイメージかなって思うんですけど、それもある意味、水と関係しているって言えるんでしょうか。

原田:そうですね。あえて、水の制約と水への影響をなくす方法として、水を使わないっていうのが注目されることもよくあります。水洗トイレって、とっても水をよく使うんですよ。いまどんどん節水型が進んでますけど、たぶん、稲盛(財団記念館)のやつとかだったら、一回フラッシュ(水洗)したら8リットルとか流れるんですね、水が。で、だいたい5回くらいトイレ行くんですよ(*ひとりあたり)、平均的には。そうすると40リットルくらい水を使いますよね。アフリカの農村で、もし、このままあのトイレが入ったら、この40リットルの水は、彼らが1日に使うぐらいの水の量なんですよ。そう考えると、もちろん水がどれくらい容易に手に入るかによりますけど、「水を使うトイレ」って制約をつけるのは、結構強い制約なんですよね。それを取っ払うっていうのと、あと使ったあとには同じだけ汚水が出るので、その問題も出るので、ドライトイレっていうのはひとつの選択肢として、研究であったり関心があるひとはいますけど、メジャーかと言われると難しいところですね。

高田:じゃあ、あとの話に関連するかもしれないけど、乾燥地のサニテーションっていうのは、結構チャレンジングな課題になるわけですね。

 原田:うーん…そうですね。乾燥地でも、何をゴールにするかですけど、自分がやってるテーマのなかで、やっぱり一番難しいと思うのは、都市のスラムのサニテーションですね。行き場がない。し尿を農業に使えるようなところだったらそういう選択肢もあるだろうし、そもそも、広い土地があればいろんな選択肢があるでしょうけど、密集して、それこそ各家庭にトイレを使うことができないような状況だったり…。そうすると水の共有をしていたりとか、水も汚れやすいですし。その意味では、都市スラムの水と衛生の方が、解決策を、長期的にはインフラの整備とかでしょうけど、それまでの解決策っていうのは難しいなと思います。

2.基盤Sプロジェクトとの繋がり

伝統的社会、定住化/集住化とサニテーション

林:原田さんが環境工学、水と衛生の問題に取り組むきっかけになったのは、(原田さんの)ホームページによると、大学院時代にベトナムの貧困農村に滞在された経験というのを拝見しまして、そこでは電気・ガス、そして水、トイレがないような環境で、そこで大きなインパクトを受けて、というがありました。そこは、このプロジェクトのフィールド(アフリカ熱帯と南部の狩猟採集民居住地)とも共通するかなと思いました。プロジェクトのテーマのひとつとして「行動の社会化と行動環境の再編」。その中の項目で、ボツワナにおける「定住・集住に伴う「健康」の再編 (定住化) / 子どもの衛生行動の変容」というものがあります。そういうところで、原田さんの貢献というのが期待されていると思うのですが…。

高田:(補足として)ボツワナで、これまで主たる、われわれが研究対象としてきたのがグイ/ガナという狩猟採集民で、狩猟採集民の特徴で移動生活っていうのと、あと生活集団というのは、わりと小規模な複数の家族が fission and fusionって言って、ついたり離れたりして、移動しながら暮らすっているのが「伝統的」生活って言われてるんですけど、そうなると広いスペースを使うので、トイレ問題とか、水も、工業的なインフラがなくても、それほど問題が生じないように思います。つまり、水を管理するんじゃなくてこっちから水分のあるところに行くっていうやり方で生きていく術をつくってきたと思うんだけど、定住化と集住化が進むと…まあ、いまはだいたい1,500人超えるぐらいの規模で住んでいるところにわれわれも行ってるんですけども、やっぱり当然、日々の問題としてトイレの問題が出てきますし、それ以外にも移動しないことに伴う社会的な影響が出てきたりして、という背景ですね。その広い意味での健康っていうのを考えたいな、っていうのと、あとは定住と共に農牧民、カラハリとかツワナっていう農牧民との接触が強まって、生活にいろいろな側面に影響が出るっていうこともあるので、それも、いま仰ったようなサニテーション的な視点で見ても興味深いことが起こっているんじゃないかな。

原田:改めて聞くと、具体的にシャープに「これ」っていうのはなかなか難しいですけど、すごい繋がるところが多いと思うんですね。サニテーションが問題になるのは、人が定住して集まっているところだと思うんですよ。私はベトナムで初めてサニテーションのプロジェクトをやったときの村が、ベトナムの農村は農村なんですけど、もともと焼畑をして移動生活をしていたところが、ベトナム戦争が終わって、政府の方針で定住政策のもとで定住化が進みつつあるところだったんですね。で、彼らはもともと移動していたので、固定したトイレを持っていたような人々ではなかったんですけど、定住して、ベトナムの政策のもとで学校に行くようにしたりとか、というなかでサニテーションが注目されるようになって、そこにトイレを入れるっていう話しだったんですね。ですので、いわゆるもともと定住していたベトナムの農村の人たちにサニテーションを入れる話しよりも、ちょっとハードルは高かったんですよ。トイレというものが、より自分たちの生活から遠いものだったので。そういうところに新しい習慣を根付かせるのって、単にトイレを入れたらどうかという話だけではなくって、どんなふうに彼らにトイレの意義を伝えたりとか、あるいは、継続的に働きかけて、衛生的に使い続けられるようにしたりだとか、そういうのを経験してたんですね、一番最初に。そういうことが大事だと思って。で、テクノロジー的なことだけではなくて、(サニテーションを)入れる前もそうなんですよ。どういうふうにオリエンテーション、彼らにサニテーションというものを紹介して、というところからすでに働きかけのプロセスは始まるので、そういうところからどういうふうに働きかけて、どんなふうに彼らのモチベーションを生み出して、維持をするのかっていうのは、いまザンビアでやってるプロジェクト(*SATREPS)も含めてずっと引きずっているところなんですね。だから移動生活をしていて小規模だったのが、定住化してきて集住化してきてっていう、そこで生じる問題としては、サニテーションの問題ももちろんそうです。どうやったらサニテーションが成立するかっていう話しの中で、さっき「一番難しいのはスラムだと思う」という話しをして、そこでの関心が高まってますけど、とはいえ、高田さんの科研のコンテクストとベトナムの農村でやってた時のコンテストは親和性が高いので、直接何か、っていうのはまだ見つかりませんけど、対象としている場とぼくが経験してきたことは、それなりにオーバーラップするなとは思いますね。

 *SATREPS( Science and Technology Research Partnership for Sustainable Development )
*SATREPS(サトレップス)とは、地球規模課題の解決に向けた日本と開発途上国との国際共同研究を推進するプログラムです。科学技術と外交を連携し相互に発展させる「科学技術外交」の一環として、地球規模の課題解決を目指す国際共同研究を推進します。

高田:それを聞くと、このプロジェクトも大丈夫だなって気がするね。

写真2 ベトナムの農村で農業循環型トイレの建設に参加する(2003年) 提供:原田英典

子どもとサニテーション

原田:あともうひとつ、高田さんの科研では子どもが主たるフォーカスだと思うんですけど、衛生状態が悪くて一番影響を受けるのは子どもで、下痢は衛生状態が悪いときの主たる健康の結果なんです。下痢は世界で3番目の5歳未満児の死亡要因になっているものですし、いろんな統計があるので数字自体にそんな厳密性はないんですけど、水と衛生の不備によって、世界の下痢の58パーセントが引き起こされているっていう数字もあったりして。UNICEFなんかは、子どもの命を守るためにトイレを入れる、っていうのをメッセージとして打ち出しているので、子どもだけに何かっていうのはあんまりないかもしれないですけど、少なくとも結果としては水・衛生の研究でも子どもは関心が高い対象になりますね。

高田:インパクトでいうと子どもは大きいということですね。そのうえで、さっき言われたみたいに社会それぞれの特徴があって、それとトイレをどううまく接合させるかっていうのも問題になるわけですね。

原田:そうですね。

3.トイレ話あれこれ

衛生的なトイレとは

高田:なんか、話し聞きながら、谷崎潤一郎がトイレについて *、薄暗いところで非常に美しい…文章だけ読んだら茶室に聞こえるような文章で、トイレを記述していることがあったのを、いま思い出したんですけど、そのトイレの美学みたいな、そういうとこまでいくのと、必要に駆られて何とかこの汚水を処理しないといけないみたいな。このあいだをどう繋ぐべきか。まぁ、なかなかチャレンジングで面白い課題かなと、聞いてて思ったんですけど。

 *随筆『陰翳礼讃』(1933);「陰影」というものをテーマに、伝統的な日本文化の美、日本人の独特な美意識について説かれており、そのなかで「厠(トイレ)」について言及されている。

原田:ぼくに美学の方のセンスは全然ないですけど、震災(*東日本大震災)のときに、建築の先生と一緒に災害対応のポータブルトイレの開発をしたことがあるんですね。で、そういうときには、そうしたセンスの重要さをとても感じますね。ぼくら衛生工学者が考えることっていうのは、「ちゃんと処理できているのか」とか「衛生的なトイレとしての機能があるかどうか」というところに主としてフォーカスするんですよね。でも、建築の人たちは、まあ、そこは一緒にやっていたので僕らに任せて、「格好良さ」とか、「使いたくなるようなデザイン」とか、そういうところをとても重視するので。でもやっぱり、そうじゃないと使わないと思うし、すごい大事だなと思いつつも、なかなか僕だけではできないことだなと思いますね。

高田:ぼくは以前から好きだったんですけど、坂 茂(ばん・しげる* )さんって いう、段ボールとかを使って美しい建築をする方がいて、震災のときもボランティアでずいぶんいろんなものをつくられていました。段ボールだから、作りやすいし軽いし、破棄もしやすいし、ということで注目されたけど、すごく美しいものを作るんですよね。それで一般的な認知も高まったと思うんですけど、なんかこう、定住、あるいは災害みたいな時に、困っている人を助けるからこうっていうんじゃなくて、そのひとが生活を再組織化するときに、どうやったらなんか良いものをみんなで作れるかみたいな発想のほうが、きっと受け入れられる面もあるでしょうね。

原田:そうですね。段ボールというのは奇遇で、その時にわれわれが作ったのも、洗ったりしたかったんで、いわゆる段ボールじゃないですけど、プラスチック製の段ボール。要は、プラスチック素材を使って、段ボールの、あのハニカムな加重負荷にある程度耐えられるような段ボールと同じ構造のもので、それでパネルで組み立ててトイレにしてたんです。それは、建屋の方じゃなくって、便器にあたるところをそれで作っていたんですよ。

林:それは、きれいな状態が保ちやすいとかいう…。

原田:段ボール自体に汚物が触れるような構造にはしてなくて、ゴミ袋だったりバケツなりに落ちるようにはしているんですけど、とはいえ、汚れることはあるじゃないですか。一応、防水の段ボールもありますけど、それでもプラスチック段ボールの方が水に強いっていうのと、あと単純に強度も強かったんで、そっちにしてましたね。

高田:それ大事ですね。なんかあの、ロックの祭典でめっちゃ有名なウッドストックってあるじゃないですか。1969年の。あれって、いろいろドキュメンタリーとか描かれていて 、ジャニス・ジョプリンとかが歌っているみたいなシーンが有名ですけど、実際行ったひとの一番印象深かったのはトイレらしいですね。トイレがもう全然整備されていなくて、めちゃくちゃ行列が並んで、もう途中でみんな野外でしはじめて、何万人も集まっているからすごい状態だったって(笑)。その臭いと…あの、みんなの雰囲気が記憶に残っているっていうのを、エッセイかなんかで読んだことがあります。

林:最近でも、東京マラソンかなんかでありましたよね、トイレ問題。

高田:へぇー。そういうイベントとか、一回もんだから知識が集積されていないと、びっくりするようなことが起っているかもしれないね。

原田:なんか、すごい身近な問題なのに、意外と画一的なソリューションしかなくって、そんなことが起こってしまったりとかもしますよね。なんかその、いまの話しでも上流がコンサート(会場)というかそっちの方で、トイレは下流の方の話しですけど。下流の方の話は、そんなに重視されないし、最低限あるオプションを持ってきて。で、うまくいかないような、そんな話が結構あると思います。それは、…ぼくたまに言うんですけど、例えばトイレも自分で家を建てるみたいに、ほんとにデザインして、その人に合った、その家族に合った、その状況に合ったものを作れるようになったらほんとは良いと思うんですけど、でもそこまでのバリエーションもなく、ある程度決まった型になってしまって。で、国際機関が「アフリカでトイレを」って言ったら、まあその、フォーマットはだいたい決まっていて、違うのを試す集団もありますけど、まぁ、メジャーなトイレはおおむねコレっていうのがあって、なかなか新しいバリエーションを、その場所その場所で生み出すふうになってないですね。家はそれに比べると、もっとその地域の工夫っていうのが導入されやすい気がするんですよね。

高田:なるほど。ここにいる杉山さんの扱っている「死」というテーマと、ちょっと通じるかもしれないですね。トイレも死も「光と影」の「影」の側にまわりやすい。まあ、大事なことはわかってはいるけど、ちょっと直視することを避けるみたいなところはあるかもしれないですね。

原田:そうですね。ちょっとそれで、わりと局面が変わったなと思うのは…「ウォッシュレット*」出たじゃないですか。そこから、ある一定の人たちは、「Myウォッシュレットを持って鍵をしたい」だとか、要はサニテーションの部分を、部分的にだけどどこに行ってもオーダーメイドで自分好みにしたりだとかするようになったりもしていますよね。それをもう少し、広い範囲だったり、まあ私の関心はどちらかというと便器もそうですけど、便器のあとの汚物の始末なので、そういうところまでもっと自由にデザインできるようになったらいいなと思いますね。

高田:テレビのドキュメンタリー*で、TOTOでしたかね、ウォッシュレットができるときの葛藤とか社内での紛糾した議論とかをみて面白かったんですけど、そういう、そこだけじゃなくて、そのあとそれが広まっていく過程でもずいぶん問題あったと思うけど、その辺まで考えると社会科学者とかがちょっと活躍する場が出てくるかなと思って、ちょっと楽しみ。
*プロジェクトX「革命トイレ 市場を制す」(2002年9月17日)

4.フィールドとサニテーション

Folk Sanitation

林:高田さんのプロジェクト(S科研)では、フィールドがアフリカ南部のボツワナとナミビア、あと中部のカメルーンになります。原田さんのプロジェクト(SATREPS)では、ナミビアの都市スラムが対象ですね。ボツワナとナミビアの狩猟採集民(ブッシュマン)はご覧になったことはないと思いますけど、コロナ前の2020年2月にカメルーンに来て頂きまして、さっきお話しに出たベトナム(農村)ではないですけど、(カメルーン東部のバカ・ピグミーが暮らす集落では)電気も水道もガスもない、トイレもない。当時は地球研のサニテーション・プロジェクトの一環として、トイレがないところにどういうトイレがあれば良いか、みたいなことをやっていたんですね。それでいろいろ(住民の方々らと)造ってはみたんですけど、なかなか彼らに合うようなトイレはないし、造ってもあんまり状態が良くないとか…。それで原田さんに専門家として来てもらったときに、現地の様子を見てもらって、いろいろ面白がってもらったんですけど。いまは私も高田さんのプロジェクトで、(引き続き)衛生に関連することもやっているんですけど、実際、狩猟採集民のようなもともとトイレがないような人たちにとって、トイレを含めて「衛生」というのをどういうふうに伝えていけば良いのか、アイデアを教えて頂きたいです。

写真3 ザンビア・ルサカ市周縁の低所得地区の共同水栓での水汲み様子(2019年)撮影:原田英典

原田:ぼくは「サニテーション」て言葉を使うんですけど、極端な話、トイレがなくてもサニテーションというのはあると思うんですよ。その地域の人たちが、どうやって汚物の始末をつけていくか、っていうことであれば、例えばですけど、自分たちが守ろうとしている水源を汚さないようなところに排泄をしに行ってとか。あるいは、(排泄後に)土をかぶせたりとか。そんな大げさなものでなくても、毎回、ちょっとスコップで土を被せて、とか。そういうのも含めて意識的であれ、無意識的であれ何かしら汚物に始末を付けて、自分の生活の質を上げるような要素があったら、それはサニテーションだと思うんですね。だから、トイレということに特にこだわらなければ、あらゆるところで、「みんなサニテーションどうしているんだろう」っていう関心はわきます。

写真4 カメルーン東部州バカ・ピグミー集落近くのわき水場にて水質検査のために水の採取をする原田さん(2020年)撮影:林 耕次

高田:なるほど。Folk Botany とかね、Folk Biologyとかあるけど、Folk Sanitationていう分野もあり得る…。

原田:あぁ、そういうひと、いました。なんか本で、そういうのを読んだことがあります。衛生工学者が人類学者的なことを、いまぼくが言ったような関心で地域を見てるっていう人が、そんなに多くはないでしょうけど存在しています。

高田:それって、人間にとってかなり普遍的な問題だから、それこそ歴史…ギリシャ時代から遡って、きっといろんな試行錯誤を続けてきた人たちがいるだろうから、面白いよね。研究領域として。

原田:私は行ったことないですけど、私の指導教員のふたりの先生は、ポンペイの遺跡の発掘にそういう観点の協力で行ってました。

高田:へー!それは面白い。

原田:その昔の街が、どうやって汚物を始末してたか。要は、都市なので下水道的なものはあるんですよ。でもそれは専門の人でなければ詳しいメカニズム、どういう機能でどういうデザインで都市の衛生を機能させたのかってわからないので、考古学者の集団に呼ばれて、定期的に行ってたみたいです。

高田:あぁ、そうなんですか。ほんと、ローマ帝国っていったらインフラの水で広まった帝国みたいな…。

原田:有名ですよね。

林:漫画の『テルマエロマエ』とか。

原田:あぁ、それもそうですよね。いまでも水道の橋*とかが観光名所みたいになって、ありますよね。
*世界遺産のポン・デュ・ガール(フランス)

ニューカデ、サンの人々のサニテーション

林:プロジェクトの共通認識として(高田さんに)お伺いしたいのですが、高田さんのフィールドであるボツワナのニューカデの場合は、政府の定住化政策によってサンの人々が一カ所に集められて家を造って、トイレも造られている。もともと移動生活をしていたサンの人々は、トイレをどのように受け入れているのでしょうか?

高田:いま、本当に問題になっていると思うんですけど、トイレだけじゃなくて、広く水が大きな問題になっていて、トイレは開発計画のなかに組み込まれていて、それなりにプロットをきちんと作った人のところには申請すればトイレが支給される仕組みにはなっているんですけど、作るよりも維持する方が遙かに大変で、ずっと汚物の処理をするですとか、水を供給し続けるのは難しいですね。で、トイレどころか水もある程度の共益費みたいなのを払わないと、最低限のもの以外は止められちゃう仕組みなので、止められた状態のときがけっこうあって、そうするとトイレはどんどんどんどん汚物が貯まっていくばっかりになって、むしろ、より不衛生なスポットになっちゃうんですよね、そうなると。それで、またひとは使わなくなって…みたいな負のスパイラルみたいなのがけっこういろんなところで起こっているというのがあります。

写真5 ボツワナ,ニューカデの再定住地に造られたトイレ(中央部分;2016年)撮影:杉山由里子

杉山:わたしも調査しているときに、2週間水がストップして、結構死にそうな…命の危険を感じるような、私自身ギリギリになったりして「やばいな…」っていうときがたくさんありました。お金を払える人は、きれいな水が水道から出てくる。でもそれができない人、水道が家(の近く)にない。それからお金を払えない人は、お金を持っているときだけ、その水道の水をもらいに行くっていうシステムなので、それがあるかないかですごく貧富の差…広がりつつある貧富の差をみんなに突きつけられるような…。

高田:もともとの供給の水自体が、地下水からおっきなポンプでくみ上げて、かなりの何十キロもの距離を運んでるんですよ。そのポンプとパイプが、それほどメンテナンスが十分じゃなくて結構故障するんですね。そういうハードの面での水の供給が滞るというのと、さっき言った、ソーシャルな面でのお金を払わないから止めるっていう両方のネガティブなファクターが結構多いですね。

原田:いまの、このシーンだけでも、十分、研究が成立する気がしますけどね。

高田:あ、そうですか。

原田:なかなかいま自分のリソースがないから行けないですけど、移動していたときよりも、定住したことによって水に対するストレスは高まっている…。変な言い方ですけど、不安定なインフラに基づく生活になったことによって、水のアベイラビリティ(可用性)がむしろ低下したかもしれないし、それに伴って、もしかしたら水、あるいはサニテーションに関わる…さっき下痢の話をしましたけど、健康リスク・下痢のリスクがむしろ高まっているかもしれないですよね。

高田:はい、確かに。

原田:たぶんそれは、もし、わりとむかしの生活を残している集団があって、直近で移動してきてそういった問題を抱えている集団があって、ふたつの地域でどういう水の利用実態なのかとか、それで水とか生活空間がどんな汚染状態なのかとか、それに伴って下痢のリスクがどうなっているのかっていうのを描くだけでも、十分興味深い研究になりそうですけどね。

高田:それをきくと、すごく嬉しくなります。

林:(杉山さんへ)実際、2週間水が止まった時に、ブッシュマン(サン)のひとたちは(むかしの生活のように野生の)スイカを採りに行ったりとかいうわけではないでしょう?どうしていたんですか?

杉山:わたしがお世話になっているのは、どちらかというとお金がない、むかしの暮らしを好んでいる方で、わたしもそれが気が楽で家庭にお世話になっています。そのひとたちがしてたのは、水瓶に水をためて、断水時にその水を使っていく。もちろんどんどんどんどんその水は少なくなっていくんです。で、最後の方は底のきたない水になっていますが、底が深くて汚れがよく見えないので綺麗な水だと思って飲んでしまってアウトです。

林:(伝統的な水の代用品として)スイカとかは利用しているんですか?

杉山:もちろんスイカも食べますけど、やっぱり定住するようになって水っていうものへの認識が変わったと思います。みんなにとって、ここ定住地には水道があって命と希望に溢れたはずの場所だった。本来水に直ぐアクセスできる状態のはずなのに、現状はすぐ断水するしそれに対して政府もちゃんと動いてくれない。

高田:事実としての使っている量と、水に対する期待とか不安とか分けて考えたら面白いよね。

原田:そうですね。

高田:たぶん、絶対量は定住後の方が増えていると思いますけど…使っている量は。だけど水に対する欲求はより高まっているので、足りないと思っちゃう。

林:インフラが整うことで、逆にリスクとか容量が増えたりとか…。

原田:量も、確かに絶対量はそうかもしれないですけど、欲しいときにもらえるかとか。その、移動している生活のときは、たぶん、真横にはないかもしれないけど、まあ、自分で想定している時間があって、欲しいときにそれを取りに行ってっていう生活ができてたんじゃないかと思うんですよ。でも、不安定なインフラに頼ってしまうと、お金を払わないとかそういう要因によって得られないときもありますし、それに、ちょっとわからないけどザンビアとかの場合にはいつでも水が出るわけじゃないんですよ。計画給水というか、Intermit water supply (*間欠給水)になっていて1日の中の限られた時間しか水が出なかったりするわけですね。ザンビアの(首都)ルサカは、丸1日出ないというのはあんまないでしょうけど、一週間に何時間しか出ない地域とかもあるんですよ。そうすると、タップはあって便利そうなんだけど、意外と前の方が、量は少なかったかもしれないですけど便利に水を使えていたかもしれない。あと、たぶん、そういう観点での研究で、水の量のことをやるひとは結構いると思うんですね。でも、いま言ったみたいに「欲しいときにもらえるか」っていう観点は、それプラスでユニークな面白さがあると思いますけど、そういう水の使い方によって、実際口に入っている水の質も変わると思うんですよ。ザンビアで高橋君(*ASAFAS大学院生)   がやってる研究とかも、そんな感じに近いんですけど、水って貯めると汚れるんですよ。だから、一番安全な水が飲めるのは、家の中に蛇口が何個かあって、ジャーっと流すと、キッチンで必要だったらそこで水がパッと流れて、流水でくると。その水供給システム自体も断水とかがなくって、いつも圧力が維持されていて、どっかで停滞とかしていない状態が一番きれいですよね。でも、ザンビアの話なんかだと何十世帯が一個のタップを共有しているんですよ。そうするとそこで水を汲んできて家で貯めるじゃないですか。そうしたらすごい汚れるんですよね。明らかにここ(蛇口の水)とそこ(貯めた水)で水の質が違うんですよね。だから、ちょっとわからないですけど、移動生活をしていて、きれいな湧水を使っていたような。きれいというのも曖昧な言い方ですけど、まぁ、湧水を使っていて、そんなに長く貯めずに生活をしていた環境と、不安定なインフラの下で個人の家にあるような、どっかから持ってきて、長期間貯めてっていうのでやると、意外と質はどっちがいいかわからなかったんでしょうね。
*ザンビア・ルサカ市周縁の低所得地区で水道・トイレの共有と飲料水の汚染,下痢のリスクについて研究している。

高田:なるほど。なんか落語とか俳句で水瓶ってよく出てくるけど、水瓶の水がきれいっていう良いことが書かれているけど、そのニュアンスが伝わりますね。きれいな水ってほんと大事。良いものって。定住するようになって、かつての離合集散を特徴とした人間関係の流れが淀むという話を書きましたが(Takada A, Sugiyama Y (2022) Imagination on the Past and Memory for the Future: Re-Establishment of the Lifeworld through Rituals Among the Gǀui/Gǁana. African Futures 27: 347-355.)、定住するようになって水も澱むようになった。

原田:ほんと面白いぐらいね、水の質は落ちますよ。貯めとくと。

写真6 給水車と並ぶニューカデ・サンの人々(杉山由里子撮影)

5.再び、科研Sプロジェクトとの接点について

子育てとトイレトレーニング

林:プロジェクトでは、アフリカ狩猟採集民の子育てとか、子どもの相互行為がひとつの大きなキーワードになっています。そこで、原田さんの研究がどういった接点なり、共同研究として可能かということをお伺いしたいです。

原田:子どもでパッと思いつくのは、これはむしろ「ゴミ」の方に近いんですけど、赤ちゃんのうんち。まあ、オムツとか。オムツを使っていないにしてもそれに類するものとかの管理は直接的な子どもというか、乳幼児のサニテーションの話ではありますね。実際それは、それなりに結構なインパクトがあると思います。ゴミとかがしっかり処分されていないようなところでは。むかし、ザンビアで学生が研究してたときに、トイレのコンディションによって、水のよごれっていうのも変わる。途中でハエが介していたりとか、きたない靴とかいろいろあるんですけど。でも、ゴミ捨て場が家に近いとか遠いとかいうのが関係するんですよ。まぁ、想像したら確かに普通にゴミって考えると、そこに糞尿とかないようなイメージですけど、でも現実的にはそこにオムツが捨ててあるとかままあって、そうすると生活空間に近いか遠いかってやっぱり影響しますね。

林:そうですね。バカ・ピグミーの場合、集落の家の裏手がゴミ捨て場になっていて、子どもが排泄したら葉っぱとかでくるんで(そこに)捨てる感じです。

高田:私はこれまでの研究で、赤ちゃんに対する母親やそれ以外の養育者による接触に注目して抱きとか授乳とかジムナスティックを扱ってきたんですけど、接触って排泄もすごく重要です。食事だけでなくて、出る方も大事ということですね。それがどういうパターンで生じるかっていうことですとか、あともうちょっと大きくなって2歳から4歳くらいの子たちだとトイレトレーニングていうのは、それこそフロイト以来、重要な自己の形成であったり、モラルっていうものをどう学習していくかっていうのとすごく結びつけられて議論されてきたところなので、そういう観点とサニテーションの観点が重なったときに面白い研究になるだろうなと思いますね。

原田:そのトレーニングみたいなのを想像すると、単純に子ども用のおまるとかも、トイレのバリエーションほどはきっとないだろうし。トイレトレーニング、難しそうですね。いわゆる水洗トイレだったら、いろんなものがあって、ぼくが想像しているようなトイレトレーニングができると思いますけど、ピットラトリンとか、ああいう状況になっていると一体どういうふうにトイレトレーニングするか想像がつかないですね。

高田:その議論がそもそも出された19世紀から20世紀のヨーロッパのウィーンの環境のなかで考えられた理論なので、そこで暮らしていれば2歳から4歳までのときのトイレトレーニング、こんな大事でしょっていう、ちょっと人類学者の穿った見方もできるんですけど。だからある種、カラハリにいるときの2歳から4歳までの自己とかモラルっていうものとトイレの考え方から、逆にトイレトレーニング理論そのものを考え直せるかもしれないっていうところですかね。

林:2歳から4歳くらいまで、例えば排泄のときの他者に対する恥ずかしさとか、芽生える時期なんでしょうかね?

高田:はい、恥ずかしさっていう概念は、ぼく自身研究しているひとつのトピックなんですけど、やっぱり変わっていくんです。最初は養育者から「恥ずかしい~」とか言われてからかわれることが多いんですけど、それが徐々に変わっていって、自分で「これ、ちょっと恥ずかしいよな~」とか大人だと言いますけど、その過程で、ちょっと心理学的に言うと「恥ずかしい」っていう概念が内面化されるとか、もうちょっと相互行為のレベルで言ったら他者からの評価として言われる「恥ずかしい」っていうだけじゃなくて、自分の行動を説明するために「恥ずかしい」と使えるようになって、どの使い方ができるようになるかっていうのは、相互行為の発達と関わっているので、そういう意味では面白いし、2歳から4歳のあいだにバリエーションはぐっと増える…。

林:いまの話は、サニテーションていうより排泄行為論みたいな話になってますけど、関連したトピックとしてなかなか面白いですね。

高田:あとね、何に恥ずかしいって感じるのか。その、排泄物って恥ずかしいって感じることは多いとは思うけど、子どもって結構好きですよね、うんちとか(笑)。

原田:毎日「うんち、うんち」って言ってますよ、うちの子どもたちは(笑)。

林:トイレトレーニングについては、山内さんとも話しをしたことがあるんですけど、あんまりバカ・ピグミーの場合は、子どもにそういうトイレトレーニング的なことをしている場面をみたことがないんですよね。ブッシュマンなんかはどうですか?

高田:これまで、それにフォーカスした調査をしたわけではないんですけど、いろんな場面で考察の機会はありました。基本的には欧米や日本でやるほど強く押しつけるっていうことはなくって、まあ、ブッシュで広い場所が利用できるっていうこともあるし、あと、それでも広くしつけなくても、子どもは自然にはじっこのように行ってやるようにっていうのは、すごく見られるパターン。

林:(バカの場合でも)それはある程度の年齢になると、人の目につかないところで排泄をするというのを聞きましたね。

高田:でも、例えば、食事をしているところの近くで子どもがうんちしたりすると、ちょっと強めに言う時もあるし、それは、いろんな意味で関心の的になり易いのは確かでしょうね。

CLTSの功罪

原田:サニテーションに関わることで聞いてて、面白いなと思っていたのは、南アジアで始まって、いまアフリカでわりと人気があるというか、衛生、トイレの導入のときに使われる方法で、CLTSっていうのがあるんですよ。Community Led Total Sanitationっていうんですけど。それは、地域の人に、現状の汚染された生活で暮らしていることに「嫌悪」と「恥ずかしさ」を植え付けて、それで行動変容を引き起こそうとするんですよ。いろんなバリエーションがありますけど、典型的なのは最初はタウンウォークとかをして、どこに排泄の跡があったとか、そういうのをみて、帰ってきて地図とか作ってというのをやるんですけど。そこら辺は衛生計画法とかで、わりと共有してあるところなんですけど、もっとも特徴的なのが、そういうことをしたあとのハイライトで、「あなたたちの地域は糞便で汚れてますね」っていう話のあとに、例えばカウダン(Cow dump; 牛糞)とかを持ってきて、コップの水とかにチョンと、日本とかだったら箸とかでやって(混ぜて)「いま、君たち、この水を飲んでるでしょ。飲んでみて?」って言うんですよ。パンとかでもやりますよ、そういうの。ハエとかを捕まえてきて、(パンに)チョンとやって「いま、こういうふうに生活しているでしょ。これ食べて」ってやって、強い嫌悪と恥ずかしさを植え付けて行動変容をおこす方法があるんですね。で、それは人権的な問題があるという意味で、最近は批判的に言われるんですけど、行動変容自体はとても起こるんですよ。ただ、それが持続的なのかっていうのは話題にはなっていて、CLTSが生まれてから10年くらい経ったあとの論文とかでは、そうやって行動変容は起こるけれど持続しない、みたいな話もありましたけど、でもまあ少なくとも、それまでの教育的な感じのトイレの導入を働きかけるやつよりも、最初のドライブはすごいかかるんですね。

高田:かなりショッキング…。ショック療法(笑)。

原田:そうなんですよ。なかなかすごくて、そういうアプローチを取っているので、例えば野外排泄をしている人とかを見たら、子ども警察隊みたいなのが組織させて、野外排泄している人を「ピピピーッ!」って笛で吹いてとか、あるいは、酷いとそういうのがエスカレートしてくると、そういう人たちに暴力を振るったりだとかが生まれてきてしまうので、強い批判もあるというのがあるんですけど。でも、まあ人気になるんですよね。南アジアとアフリカで。林さんと一緒にカメルーンに行った時も、CLTSの教科書が置いてあったりして「あ、ここにもあるんだ」って。むこうは、別に批判的な視点でそれを見ているんではなくて、近年の主流なサニテーション導入のアプローチというとらえ方で恐らくみてますよね。それはちょっと極端な例なんですけど、いまの話しは啓蒙ではなかったかもしれないけど、「恥ずかしさ」とかいうのは、行動変容の結構なドライブになると思うので、そんなに強いものではないにしても、彼らが一体何に嫌悪感を感じたり、何に恥ずかしさを感じているのかっていうのは、特に汚物を扱うようなサニテーションで彼らの行動を変える/変わるときいにはひとつの大きな着眼点になると思いますね。

高田:思い出したんですけど、Rozinっていう人がいて、disgustという感情に注目した研究をしているんですけど、それが、コップの水にゴム製のゴキブリっていうのを飲みたいと思いますかっていう実験をしていて、結構飲めないんですよね。抵抗があるっていうことで。

原田:ゴム製って(はじめに)言ってるんですか?

高田:言ってます。はっきり言ってて、だからここから発展して、嫌悪っていう感覚っていうのは極めて社会的で、かつ、ときにはアボイダンス(avoidance)みたいな感覚とか、社会を結びつけている感覚と繋がっている議論なんですけど、それは面白いと思って、いま思い出したんですけど。だから必ずしも本当の糞便とかじゃなくて、人工物を使ってでも、いまのやつは一部はできるかもしれないですね。

原田:そうですね。まさに、ディスガスト(disgust)って言葉で英語で使われています。その方法で。

高田:繋がっているかもしれない。

6.子育て経験と今後について

林:ここからは話題を変えた質問になります。個人的な話になりますが、原田さんはお子さんが4人いらして、子どもの観察も日々されていると思います。原田さんはこれまでアジア、アフリカのいろいろな地域で調査をされてきた経験をお持ちですけど、行かれた先々で子育てや子ども同士のやり取りなんかで印象的なエピソードとかはありますか?

原田:子育て…。そんなにフィールドで意識して関わったことはそんなにないですね。

林:あるいはサニテーションに関連させて、子どもの行動とかで印象的な話とか…?

高田:家の子どもとフィールドの子どもでは、何して誰と遊んでいるかとか、けっこう違ったりしてたりするなぁ…。

原田:あー、でもよく考えると結構似てることが多いなと思いますね。まあ単純には、そういうとこに行って子どもを見て、自分の子どもを思い出すのは、何らかの共通することを感じることが多いですよ。林さんとカメルーンに行った時も、子どもたちがいろんなゴミをおもちゃにして遊んでいるじゃないですか。「こんなことするんだ」って最初は思うけど、よく考えたら、うちの子どもも何でもおもちゃにするなって(笑)。改めて思ってしまいますね。

林:原田さんは京大ASAFASに異動されてから4年目ということと、SATREPSの大きなプロジェクトも始まったところですが、今後、高田さんのプロジェクトに関連しての展望とか、貢献についてのイメージとかはありますか?

原田:せっかくさっき思いついたので、誰かそういうこと…定住したことによって水のアベイラビリティとかアクセサビリティとかリスクがむしろ上がったんじゃないか、みたいな話ですけど、なんかそういうことに興味を持つ人がいたら良いですけどね、ASAFASのなかで。そうしたら本当に一緒にできるので。

高田:ASAFASに限らなくても、分担者とか連携研究者の学生さんとかに広げてもね…。

おわり