研究紹介

「教育・学習の文化的・生態学的基盤:リズム,模倣,交換の発達に関する人類学的研究」について

 

近年,ヒトの教育や学習を基礎づけている特徴に注目が集まっています.たとえばCisbra & Gergely(2011)は,ヒトは明示的な意図を介して文化的知識を伝達する性向を普遍的に備えており,他の動物種にはみられないこの「生得的教育学(natural pedagogy)」が,ヒトの繁栄を可能にしたと論じています.こうした研究は,教育や学習に関して古くから提起されてきた問題を脳科学や神経科学の最新の成果と結びつけ,その物理的な基盤に迫ろうとするものです.その一方でこうした最近の動きの中では,教育や学習のあり方の文化的・生態学的側面についての十分な議論はありません.

人類学はこうした問題に早くから独自の貢献を行ってきました.中でも南部アフリカのサンはその研究史で大きな役割を担ってきました.現代の狩猟採集民として知られるサンは,人類社会の始原的な姿を復元する鍵になると考えられ,1960年代から盛んに研究されるようになりました.こうした研究によれば,サンに代表される狩猟採集社会では,母親が長期間密着して乳幼児を養育し,両者の間には強い愛着が形成されます.その後,子どもは多年齢からなる子ども集団に愛着の対象を移し,そこで長い時間を自律的・創造的な遊びに費やし,その過程で生業活動に必要な技術が身につくといわれてきました(e.g. Konner 1976,2005; Draper 1976).しかしながら1980年代以降は,南部アフリカの政治経済的変容やサン研究における潮流の変化を受け,教育や学習に関する研究はあまり行われなくなっていました.

こうした状況で,私たちは1990年代後半からサンの相互行為の発達について新たな知見を示してきました.例えば,サンが頻繁に行うジムナスティック(図1:乳児を膝の上で抱えあげ,上下運動させる養育行動)は,欧米では生後2,3ヶ月で消失する歩行反射を持続的に引き出し,さらに一人歩きを早く達成させることがわかっています.またそれまで最も基本的で普遍的な相互行為パターンとされてきたジグリング(乳児や乳房を静かにゆらす行為)と吸啜のターン・テイキング(Kaye 1982)が,サンではほとんど生じないこともわかってきました.こうした相互行為パターンは,養育者と乳児が徐々に行動を相互調整して形成されるものです.

ジムナスティック

 

前述のサン研究は(人類社会の始原的な姿を示唆する)狩猟採集社会では明示的な教育は行われないと主張してきました(e.g. Konner 1976,2005; Draper 1976).ただしこれは具体的には,社会化という観点に立てば,狩猟採集社会における密着した母子関係や子ども集団での遊びは西欧の教育システムに比肩する機能を担う,という主張です.一方,私たちの理論的枠組みでは,教育は教師と生徒,学習は学習者とそのモデルの提示者が行動を相互調整することで可能になると考えています.つまり,教育・学習を明示的な意図の有無にかかわらず不可分な相互行為上の出来事だととらえます.さらに,相互行為を通じて生態環境の中には身体的ニッチ,物質的ニッチなどからなる「ハビタット」(Ochs et al., 2005)が形成され,文化的な価値の教育・学習はこのハビタットに支えられていると考えます.教育・学習をこうとらえ直せば,従来のサン研究の知見はCisbraやGergelyによる生得的教育学の普遍性仮説と必ずしも矛盾しません.求められるのは,彼らが十分に考察していない,初期の教育・学習を基礎づける文化的・生態学的な構造を明らかにすることです.そこで本研究では,京都大学等で長期フィールドワークの実施体制を整えてきた日本を含むアジア・アフリカ諸国において,次の3テーマに関するデータの収集・分析を進めます(図2).

 

1.リズムの発達:養育者と子どもが日常的活動を通じて行動を相互調整していく過程で,相互行為のリズムが調律されます.このリズムは,教育・学習を可能にする身体的,感情的な相互理解の基盤を構成します.このテーマではとくに,こうしたリズムの調律の過程で美的・道徳的な「正しさ」の感覚(Lee & Shögler 2009)と共にその場でその時にどう行為すべきかが各参与者に示され,物理的時間とも主観的時間とも異なる「相互行為的時間」(Gratier & Apter-Danon 2009)が形作られる過程に注目します.そして,それが教育・学習上の達成とどう関わるのかを明らかにします.

2.模倣の発達:教育・学習の認知的な基盤は,他者と同じように行為することによって形作られます.はじめ,乳児の行為は知覚した対象物のアフォーダンスによって引き出されます.生後9ヶ月頃になると相手の意図についての知覚がこれに重なり,Tomasello(1999)のいう「模倣」が可能になります.その後,文化的に形成された様式についての知覚がこれに加わります(高田2010).また日常的活動の中には,学校教育とは異なる形で子どもの関心を喚起し,広義の模倣の源泉となるものがたくさんあります.この研究テーマでは,子どもがこうした広義の模倣を通じて,文化的に形成された価値の体系を理解するようになる過程を明らかにします.

3.交換の発達:模倣がはじまるのと同じ頃,子どもはもののやりとりが可能になります.やりとり活動では働きかける側と働きかけられる側が繰り返し交代するため,乳幼児は自らエージェンシーを示すと共に相手が示すエージェンシーを解釈する必要があります.これはCisbra & Gergely(2011)のいう,知識伝達を支える相互理解の体系を発達させます.また相互行為の参与者は,資源の交換によりそのハビタットの境界を確認したり,引き直したりすることができます.この研究テーマでは,交換に関わる活動の分析を通じて,文化的な教育・学習の物質的な基盤を明らかにします.

さらに上記3つのテーマを関連づけ,文化的な教育・学習の実践とハビタット形成との関わりを明らかにします.さらにこれを通じて,それぞれの集団における教育・学習の様式を基礎づけている文化的・生態学的な構造を解明することを目指しています.

 

文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(A)(一般)「教育・学習の文化的・生態学的基盤:リズム,模倣,交換の発達に関する人類学的研究」

研究代表者: 高田 明 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・准教授)